(Facebook投稿記事)
ジャック・デリダの言う「百科事典の円環知」を、もっと分かりやすく述べますね。
百科事典を手に取る時って、花がそこに咲いていて、その花について知らない時じゃないですか?
これは、当たり前にそうですよね。
つまり、本の外部にある自然世界からその花の情報を得て、初めて百科事典という書物を開くわけです。
そして、その百科事典は索引からページを調べて、本文へと開きます。
このことは、
「自然→索引→本文」
の順番に意識が向くわけです。
そして、同じことを別の視点で言い換えると。
花がただ自然の中に咲いていても、その花の本質について知りたかったら、一度は百科事典という書物で調べるしかないわけです。
このことを、「書物は自然を補完する」と言います。
つまり、自然は書物がないと、本質を理解出来ないのですね。
ところが。
百科事典の索引を引くためには、事前知識としてその花の名前を知っていなければなりません。
なぜなら、花の名前が分からなかったら、百科事典を引けませんからね。
あらかじめ親や友達からその花の名前を訊いて知っているなどの、「書物の外部」からの事前情報がないと引けないわけです。
そんなわけで、百科事典を引く人の意識は、過去に遡れば、
「事前情報→自然→書物」
の順に向くわけです。
ところが。
その「事前情報」の一番最初の元ネタは、確実に百科事典という書物から来ているわけです。
なぜなら、花の名前は学者が決めて書物に載せているものだからです。
(ちなみに、百科事典で初めてその花の名を知った人の割合が99%以上だとすると、名付け親の学者から直接教わった人なんて1%にも満たない特殊な例であるはずです。)
それにより、さらに過去に遡れば人の意識は、
「書物→事前情報→自然→書物」
となります。
これにより、書物(百科事典)がダブってしまい、円環が形成されます。
あなたがもし自分の子に花の名を教えることまで計算に入れたら、人の意識は、
「百科事典→事前情報→自然→百科事典…」
となりますね。