心を正しくして放っておけば、そのうち運って返って来るね。
その嫌な相手から変に取り返そうとするのではなくて、そこから切り離して他のことに意識を向けること。
(例えば、仲の良いのこととか。仲の良い人とは、共生する意味でエネルギーが増幅されるわけだし。)
これ、心が正しくないと、特定の相手にだけ運を奪われ続けるから注意。
キリスト教の考えはそのことを言いたいのだろうね。
私も最近世の中が水瓶座冥王星に変わって、仕事や数学本などのことで実力が認められるようになって来て、いきなり人生が良くなり始めたもんだから反動として、私にも他人を馬鹿にする気持ちが芽生えてしまったことがあった。
その場合、いじめっ子の気持ちがよく分かった。
確かに、他人から奪った方が楽だし、エネルギーの足りない部分を補う即効性があり、また、他の人たちには威圧感を与えるからか奪って来る人がいなくなるし、いじめは良いことずくめだと思う人が多いのも分かる。
でも、その分だけ他人から愛されなくなるのは孤独だと思った。
そういう時って、皆、私のことが好きなのではなくて、いじめっ子である私の権力が好きなだけなんだわ。
そして、普段だったら女の子たちにわりとモテていたのに、そういう時って女の子たちにトラウマや恐怖を植え付けていて、上辺では迎合しようとしているらしいが、その子の本能では警戒されているのが分かった。
誰もいじめっ子である私の内面を好きになってくれない。
何というか、全てが「作られた感のある幸せ」であって、偽物でしかないと思った。
こんなの、いくら人生がイージーモードでも、本物志向の自分には耐えられないと思った。
見ている世界の全てに味気がなかった。
あと、音楽や数学を美しいと感じる感性が失われて行くので、仕事や勉強での能力も格段に落ちることが分かった。
優しくていじめられてしまうような自分でいる時の方が、得られるものが遥かにデカい。
同時に思ったのは、いじめっ子のイージーモードな人生よりも、いじめられて自殺した優しい子の人生の方がよっぽど中身が濃くて幸せな人生なんだなと感じた。
(霊的な意味も含めて)感性が失われるって、それくらい不幸なことなんだなと思った。
あと、個人的かもしれないが、いじめっ子の時の自分よりも、いじめられてエネルギーが弱っている時の自分の方がなぜか女にモテる。
いじめっ子でいる時の自分がもしモテるとすれば、性格が悪くてエネルギーの薄いブスばっかり寄って来る。
そして、可愛くて性格の良い子には内心怖がられて離れられるから、結局は孤独。
で、世の中には性格悪い女の方が数が多いから、一見するといじめっ子の方がモテているように見えるけど、全然愛されてないから。
よくリア充カップルが他人を馬鹿にしてエネルギーを奪うことがあるけど、それは男ならその女の見た目が、女ならその男の権力が欲しいからその相手と付き合っているっていうだけなので、あいつらは内面を愛された経験がないんだと思う。
だから、勇気が要るけど、やっぱりいじめられっ子の側の自分で居たい。
あと、さっきも書いたけど、いじめっ子の時の自分って「心が正しくない」から、特定の同じ相手から何日にもわたってエネルギーを奪われ続けることがあるよ。
これは生きていれば必ずと言って良いほど、高確率で起きるから。