http://www.maroon.dti.ne.jp/koten-kairo/works/fft/fft_start.html#euler

音響のフーリエ解析について、こんな分かりやすいサイトを見つけたよ。

 

まあいいや、それはそれとして。

今は、技術評論社の「生物ミステリープロ」の4巻「ペルム紀石炭紀の生物」を読み始めたところ。

この本は、紀伊国屋書店新宿本店にて、光文社版の「失われた時を求めて 1巻」と一緒に買った。

その日は一昨日であり、神道的には己巳の日(つちのとみのひ)に当たり、新しいことを始めるのに良い日だそうだ。

神道の吉日については、少なくとも時々神社に通っている私にとっては、まさに本当に吉の日のようだ。

一昨日は小さな良いことがいくつか起こり、また、悪いことが一つも起きなかった。

財布から硬貨を取り出して、銭洗いもした。

 

で、話を「生物ミステリープロ」の本に戻すが。

これを3巻まで読んで、薄々分かって来たことがある。

それは、どういう種類の生物が絶滅するのかということと、今でも生き残っている生物についてだ。

簡単に言うと、全部が全部ではないものの、肉食動物は絶滅しやすい。

それと、大型の生物は絶滅しやすい。

もちろん、進化によって形を変えて生き残ることは可能だろうけども、それにしても、同類同士での餌の奪い合いなど、生き残りの争いに参加する必要がありそうだ。

噛む力が動物の歴史上一番強かったダンクレオステウスは、同類同士で争った形跡もあるくらい獰猛だったそうだが、彼らが生きていられたのはデボン紀のみであり、結局、すぐに絶滅してしまった。

(あ、今、ダンクレオステウスの名前を忘れたので適当に本を開いたら、たまたまそこがダンクレオステウスのページだったので驚いた。このオカルト的な現象は、例えば頭の中でたまたま「ココロオドル」という歌のその歌詞が流れていた時に、電車の広告で「こころおどる 神代植物公園」という文字を発見した私の実体験と同じオカルト現象だろう。神様が応援してくれている。)

結局生き残っているのは、ウミユリ、シーラカンス肺魚、鮫、シダ系植物など。

ウミユリは肉食とされているが、食べるものはプランクトンだけ。

プランクトンにとっては、食べられても痛みの伴わない死を迎えることだろう。

一方で、鮫は同じ肉食海動物同士での争いでたまたま勝ち残っただけかもしれない。

その他の獰猛な肉食海動物はだいたい絶滅している。

また、オルドビス紀食物連鎖の頂点にいたチョッカクガイは、結局、規模を縮小して丸い形になり、オウムガイとして生き残っている。

そして、シーラカンスは自分の分を弁えているため(?)、欲を出して大きくなり過ぎなかったために生き残ったのかもしれない。

もしシーラカンスが獰猛化したり巨大化したりしていたら、生き残っていなかったと思う。

普通は体の一部の何かを壊して進化して行かなければ絶滅してしまうが、シーラカンスに関しては、変えようとしなかったことによって生き残ることに成功した。

 

どうやったら生き残れるのか。

それは、直感やワクワク感に従って生きることだ。

不安に迫られて何かを変えることももしかすると大事なのかもしれないが、それよりも幸せのベクトルに乗っかって共存をすることが生き残りには大事だと思える。

最初は弱かった魚から、顎が発達し、やがて進化してデボン紀にはシーラカンスに至ったのだとしたら、そこからは同類との共存を目的に生きた方が良い。

もちろん、同類だけを異常に守ろうとして凶暴になった生物は絶滅してしまうだろうが、適度な共存関係は同類全体の生き残りに直結するだろうと考えている。

 

さて。

果たして、作曲家という職業は絶滅してしまうのだろうか?

私は作曲家ではないが、そんなことはないと思う。

ただし、古い価値観に縛られ過ぎて、新しい時代にも古い価値観の曲を作る人たちは、絶滅してしまったと思う。

もちろん、温故知新にて新しい価値観を作り上げた、新古典派はそこに含まれない。

新しいものは、老害的な価値観の人たちから常に叩かれる。

しかし、叩かれたドビュッシーは、一人勝ちみたいな形にて生き残りに成功した。

あの時代、ロマン派の価値観を引きずっていた人たちは、結局、現在では歴史資料として残ることにしか成功しなかった。

 

そして。

今までは、ポップスのアーティストたちが人々から異常にもてはやされた。

簡単に言うと、ごく一部のアーティストだけが異常な成功をしていた。

しかしこれからの時代は、今よりも多くのアーティストたちが、そこそこの成功をする時代になるだろうと考えている。

水瓶座時代。

 

生き残るためには、自分の棲家を見つけること。

心の幸せな人たちが、ひっそりと集まるスポット。

あなただけのその幸せスポットを、何があっても見つかるまで諦めずに探すことだ。

 

武蔵小杉のタワーマンションでは、上階と下階の人たちの間で差別が発生しているそうだ。

神奈川県は、東京の一等地とはだいぶ精神的な格差があって、民度の低さが際立っているようだ。

一方で、白金台の人たちは皆で仲良くして助け合う人が多いから、皆で成長出来るんだ。

その白金台の価値観は、ネットなどの影響で日本全国のどこにでも広まり、また、そういう少数の人たちだけが生き残って行くだろう。

来年からの水瓶座時代になっても、未だに差別のヒエラルキーを信じ続ける自己中な人たちは、時代の流れについて行けずに、ノアの方舟的な感じで絶滅して行くのだろうな。

今、いくら繁栄していても、絶滅する時は一気に絶滅したりするから。

(ああそうだよ、現在、朝日新聞日経新聞が窮地に立たされるなんて、誰が予想出来ただろう?彼らはつい20年前までは一生勝ち組でいられると思っていたではないか?)

ヒエラルキーの価値観は、捨てろ。

水瓶座時代には、人間の作ったどんな階級もなくなる。

当然、これからはいじめられた人たちへの差別もなくなるし、いじめっ子という刑事犯罪者もスマホの普及によって証拠撮影が可能となるし、ネットの普及によってこれまで以上に多くの加害者たちがその小さなコミュニティの間で吊し上げになる。

もしかしたら、いじめという言葉そのものが無くなって、単に犯罪カテゴリーに入れられる時代になるのかもしれない。

(警察官が暇なのは、今だけだろうな。今のうちに暇を堪能しておけ。)

人は、孤独よりも、悪いコミュニティに依存していることの方が、個人の成長を阻害させる。

なので、ヒエラルキーにて仲間外れにされた人たちが、独り立ちしてちょこちょこと成功し、それなりの幸福な人生をひっそりと過ごす時代になるだろう。

そして、当然、共産主義みたいな独裁者の作る階級社会もなくなる。

共産主義に特有な「偽物の平等」という価値観は、それが偽物であることが世に知れ渡る。

アメリカやヨーロッパでは白人至上主義の価値観もなくなり、黄色人種がいないと色んな意味で成り立たない社会になるだろう。

日本では、韓国人や中国人への差別もなくなり、良い韓国人や良い中国人はむしろ日本人の貴重な味方であることも、人々の経験則で知れ渡るようになるだろう。

 

今度のアメリカの選挙、トランプさんが勝とうが負けようが平気だ。

トランプさんみたいな人は、たとえ殺されても死なない。

なぜなら、暗殺されたとしても、必ず後釜が見つかるから。

最後に勝つのは、神を信じて人間愛に生きる人。

 

神を信じるというのは、キリスト教主義ではなくて、スピリチュアルな意味でだ。

なぜなら、神は本当にいるだろうし、人にはオーラがあるし、恐らくそっちが真実だから。

SAM前世療法やヒーリングにて、魂と肉体が確実に別でなければ起きない現象は、少なくとも自分自身の中では証明出来る。

「真実は人を自由にする」

科学は発展途上であり、この世の根底部分ではオカルトこそが真実なんだよ。