人は他人の不幸を悦ぶ時、
・快楽物質(ドーパミン)
・ストレス物質(コルチゾール)
この両方が脳から同時に出ていることが、科学的に証明されています。
つまり、他人の不幸を悦ぶ人たちは皆、その瞬間ごとに潜在的なストレスを溜め続けているわけです。
もちろん、その瞬間は快楽物質も出ているので自覚しにくいのですが、ストレス物質は確実に身体に溜まり続けています。
そのストレスを発散したくて、無意識にまた他人の不幸を探します。
その結果、脳が他人の不幸の依存症になってしまうわけです。
つまり、簡単に言うと、他人の不幸の快感がないとだんだんイライラし始める体質になってしまうわけです。
その依存症がエスカレートしていくと、それもだんだん効かなくなってゆき、更に大きな他人の不幸を探すか作り出そうとするわけです。
更には、そのようなことを続けていると脳が自己中仕様になってしまい、人間愛を感じにくくなるとともに、些細なことでの喜びを感じにくくなり、逆にちょっとしたことで怒りや恐怖心、不安が芽生えやすくなり、その怒りや不安がなかなか消えにくくなるという弊害まで出てきます。
この二つの理由により、それ自体がもう不幸です。
対処法としては、普段の生活からなるべく怒りの感情が芽生えないように、自分をコントロールしてゆくことが挙げられます。
(例えば、相手の非を糾す際は、ハートは冷静のままで、それでいてしっかりと要点を押さえて拒否を示すことが大事です。)
その更生中の段階は、はっきり言ってキツいと思います。
なぜなら、どんな理由であれ攻撃欲を抑える訓練は、麻薬を断つのと同じくらい苦しむからです。
しかし、更生した後の段階では、色々な意味で見える世界が拡張してゆき、また、少しの情報で他人の気持ちを見透かすことが出来るようにもなり、更には、そこには人が愛と呼んでいる形而上の喜びがあるはずです。
仏教やキリスト教は、そのことを本当によく熟知していると思いました。