ルドヴィーク・ストジェーダ著「ひばりのフルート」より、第1章「タイプライター」

(Facebook投稿記事)

 

チェコ語の絵本を翻訳しました。
ルドヴィーク・ストジェーダ著「ひばりのフルート」より、「タイプライター」という題の章です。
1984年に発行されたそうですから、まだ国がチェコスロバキアの時代のものです。
また、この本は7歳以上の子どもが読むために作られたそうです。

 

なお、この本は浅草のチェドックザッカストアにて購入したものですが、私の勘で選んだ本なのに訳してみると内容が濃くて嬉しい限りです。
社会主義政権のもとに、独自の発想を伴う芸術は原則として禁止されましたが、絵本と人形劇だけは子どもの見るものだからと免除されたため、芸術家たちはこぞってそこに自らの芸術性を費やしたという歴史があります。
そのような事情があって、チェコ語の絵本は世界的にもその芸術性が高く評価されているのです。
もちろん、この本は日本語訳されておりませんし、恐らくこれからもされないでしょう。
こうして自分で訳す人が現れない限り、こういったマイナーな芸術作品は埋もれたままなのです。

 

(以下、本文)

 

私は家にタイプライターを持っている。まず、タイプライターで何かを書くと、多くの場合、私は次々にそれを読む。第二に、タイプライターはシミを作らない。しかし、私が彼と一緒にいて、他の煩いがないとは言えない。私たちが一緒にいると、マシンは騒音に次ぐ騒音を鳴らし、おとぎ話を欲しがる。そして、彼は既に古いものは知っているので、毎回、何らかの新しいものを望んでくる。
私は気にしない。新しいおとぎ話でさえ、時々発見されるからだ。ただ、もし私のタイプライターだけがこれほどうるさくなかったなら!おとぎ話のおしゃべりが多すぎるとき、彼は警告する―ブレ、ブレ、ブレ!おとぎ話が現実的すぎるとき、彼は私につられてあくびをする。そしておとぎ話が面白くないときは、彼はすぐ危機に瀕する―フニュック、フニュック、フニュック(泣き声)!
それから、彼が時折君を掴むときは、君は彼にわざとやる!ちょうど一年前、私の編集部から一つのおとぎ話を返してもらった。恐らく私は怒らないだろうと思ったのか、「それは無意味だ。君は私らのためにそれを印刷できない」と彼らは書いた。
「何が無意味なんだ?」彼らは私に怒ってはいけないと書いたが、私は怒っていた。そして私は返されたおとぎ話を読んだ。
骨のアーチが架かる渓谷の中に、長々しい生地が横たわっている。ナマズの上のその塔はまるでただの泥のようにギラギラしている...
「え...、それはどういう意味?」私は読むのをやめ、マシンの前でおとぎ話を振る。「骨が谷を越えてアーチを描くことができるのか?生地が谷を横たわることができるのか?そこまで長く?そして泥がギラギラ光れるのか?そしてナマズの上の塔は何なんだ?」
「変装(プジェプレキー)...実際にはタイプミス(プジェクレピー)。全くもってあなたは私を混乱させる。」
私がそういう答えを出している間に、タイプライターは全く気にしてないように見えた。そして、それからも彼は本当に恥じていなかったので、結局私は何かを悟った。
「君が間違えたことを、君は今、綺麗に修正できるかな...」
「まるでおとぎ話のように?」彼は驚いた。
「そう...まるで3つのおとぎ話のコピーのように、書き直すんだ...」
この時、そのおとぎ話にはタイプミスがなかった。
アーチの橋が架かる谷間には、大きな街がある。その塔は太陽の下で、本物の金のようにきらめいている...
「全く別物だ!」彼らは編集室で歓声を上げ、おとぎ話を印刷した。
どちらも―私のタイプライターと私は―もう一度それを読んで、もちろん嬉しくなった。しかしそうでなければ、そうでなければ私たちは全く何も変わらなかっただろう。
ブレ、ブレ、ブレ...
ほら、ごらん?彼はもう、また私に警告している...